平和は作るもの

平和は作るもの

平和は作るもの                   

                                                                                           吉川 由紀枝(よしかわ ゆきえ)

ライシャワーセンター

日本人にありがちな誤解の筆頭に「世の中デフォルト(初期設定)平和」がある。

基本的に平和であるはずで、何かしらのハプニングで一部の悪い人が戦争してしまう。と思っている人があまりに多いように思える。

しかし、逆が真で「平和は作るもの」であり、ちゃんとメンテナンスしていないと、紛争、戦争が起きてしまう。というのが実情である。

そのためアメリカのような軍事大国が腕力や知恵の限りを尽くして自国企業が利益の最大化を追求できる「平和」を作り、維持している。

■日本の平和な「平和教育」

一方、そう思ってしまっている人たちがたくさんいる理由も分からなくない。

通常、小学校レベルで「はだしのゲン」、「ガラスのうさぎ」等東京大空襲や原爆投下にまつわる映画を数本見せられ、「戦争はよくない」、「やってはいけない」という教育を施した後は、膨大な量の歴史上の事件、主要人物、キーワード、発生年月を暗記させ、歴史の教訓等振り返るほどの余裕をなくし、そのまま卒業となる。

大学や大学院で国際関係や安全保障を勉強する以外は、何かしらの国際問題が新聞をにぎわすと、いきなり日米同盟、自衛隊海外派遣、憲法九条、護憲VS改憲等といった言葉に遭遇し、思考の基礎のないままに、あまり地に足のついた議論はなされない。

これでは物事の判断がつかない子供に銃を持たせているようで、無謀極まりない。

「はだしのゲン」と日米同盟間にはあまりにいろんなものが抜けてしまっている。というよりそもそも「はだしのゲン」から学ぶべきことがあまりに少ないというべきか。本当はあの手の映画から「戦争はいけない」という以上にはるかにいろいろ考える・学ぶ要素がある。例えば、

そもそも、なぜ大空襲・原爆投下を受けないといけないのか?なぜ日本軍が撃退できなかったのか?空襲・原爆投下にあう前に戦争を止められなかったのか?

→ 戦争で負けがこんできたのに、勝つ見込みもないのに、軍部が戦争継続を叫び続け、民衆が空襲・原爆投下というとばっちりをくらった

→まともに勝算を考えられない軍部に日本を任せてはいけないのではないか?

→そもそも、太平洋戦争をする必要は何だったか?

また、「戦争=空襲されること・原爆を落とされること」ではないので、

・  空襲されないように、原爆を落とされないように、負けないように日本は武装すべきではないのか?

・  勝算の低い戦争をそもそもしてはいけないのではないか?

という風に、本来いろいろ考えられるはずなのである。いやあれだけの被害を出したのだから、みんなが考えなければならないのである。

上記はほんのイントロなので、読者の皆様にはぜひこれに→や・をたくさん追加して、大ロジックツリーを作っていただきたい。

それを「戦争はいやなもの。ゲンはかわいそう」レベルで止まっていると、マッカーサー元帥のいうように、日本人の精神年齢は12歳程度、と思われてしまう。

Yoshikawa 日本だとなぜか、戦争から大乗仏教的な思考が生まれやすく、人類等しく原爆を落とされてはならない→原爆廃止論に発展していくが、一方戦争の苦しさを同じようになめた歴史を持つ国でその感情が等しく共感されるかといえば、そうでもない。

イスラエルには、ホロコースト記念日があるし、全国民朝10時にすべての行為を止めて一分黙祷する(車を運転していても止めて行うという)という、日本など足元にも及ばない徹底振りだ。さらには第二次世界大戦の戦地でもないアメリカの首都ワシントンにホロコースト記念館を作って、一部子供が見られないように工夫が必要なほど、生々しくホロコーストの事実を印象付けている。

身を以てその武器の破壊力を知ったなら、その武器をまず入手して自衛する。これが世界の常識である。

我が身を守るのは、我以外にいない。人様の好意をひたすら待っていたら、先に自分が死んでしまう。

こうしたことを日本の武士は知っていた。だから、攘夷を唱えていた薩摩や長州の武士たちは、下関の戦いや薩英戦争での敗北で欧米の圧倒的な軍事力が骨身にしみると、あっさり攘夷を捨てた。

明治政府を打ち立てると、すぐに岩倉使節団という日本のトップリーダーたち・技師たちを足かけ2年間欧米に送って検分させ、その文明の軍事力を―その背景にある社会体制、技術力、経済力の源泉等を含め―日本で真似できないか、できるならその方法について検討した。

そして早急にイギリスから帝国海軍に必要な軍艦一式発注し、欧米の軍事会社から武器類を購入し、軍事顧問を何人も招聘し、曲がりなりにも近代陸海軍を創設したのである。

だが、戦後義務教育は物事の判断材料となるように歴史を学ぶことを教えない。つまり、So what?(だからどうした?)を問わない歴史教育は、ただただ過去の過ちを繰り返す人々を量産するばかりである。

永井陽之助はその著「平和の代償」に以下の趣旨のことを書いている。

久野収、鶴見俊輔が分析するには、戦前、天皇制について「顕教」(一般的に広まっている教え、思想)と「密教」があった。

顕教とは、天皇が現人神であり、天皇のために戦えといった教えで、一般庶民に広められた。その一方、エリート層の中では、天皇機関説という「密教」が信じられていた。それでも、どうしてもエリート層に属するはずの衆議院と軍部だけが、顕教に凝り固まっていた。

戦後はどうかというと、永井はこう分析している。平和主義について「顕教」と「密教」がある。顕教とは絶対戦争してはいけません。という小学校で教える平和思想。密教とは、いわゆる吉田ドクトリン、即ち「憲法第九条を最もいい楯として、米国の再軍備の圧力に抵抗して、経済復興を達成する、という暗黙の了解」但し、これは、プライドはかなぐり捨て、「トランジスタのセールスマン」といわれようが、ひたすら経済重視で突き進む覚悟を要するため、感情的な部分は消化できない。

当コラムは、日本、世界政治の密教を日本人の間で顕教にするためにあるといえる

一つ考えてほしい。なぜ日本は襲われないのだろう?世界で三番目にお金持ちの国だし、日本人は勤勉だし、従順である。日本と戦争してわが領土とし、日本の富を我がものとし、日本人を奴隷にして自国民はみんな左うちわで暮らしていこう。という発想が世界のどこかでおきても、本来全然おかしくない。世界史は裕福な国ほど狙われることを教えている。

だが実際には第二次世界大戦後日本本土が侵略されるということは起きていない。なぜ?

世界中の人々が日本ファンで、日本にはいつまでも平和で美しい国であってもらいたいという、世界の愛に包まれているからではない。あけすけに言ってしまえば、日本を襲っても勝てる見込みが、まずないから。世界最大の軍事大国アメリカがその同盟国に控え、自衛隊+在日米軍が日本に物理的にいるので、真っ向からの戦いを挑んでくる国はいない(これを専門用語で抑止力という)。

では、自衛隊+在日米軍の組合せでなぜ抑止力が働くか?といえば、米軍が世界最強の軍隊であり、常に新兵器を開発し、重要かつ新兵器を買えるお財布を持っている国(日本とヨーロッパ)に売るので、日本には核兵器がなくても最新兵器が大体そろっている(最近でいえばミサイル防衛はいい例だ)。また米軍は頻繁に戦争をしているので、戦略・戦術も非常に洗練されている。

そして時折合同演習を行っては、周辺諸国に「どうだ、すごいだろう。まかり間違っても襲おうと思うなよ」というメッセージを発している。いわば筋骨たくましい大男が指の関節を鳴らして、周囲を怖がらせているようなものだが、その筋骨がたくましくみえるほど通常周りの戦意は喪失する。

そのため、強いものはいかに強いかを見せびらかし、弱いものは自らの弱さを隠そうとする。

例えば、アメリカは高らかに自らの軍事費を公開するし、戦争中なら最新兵器を実際に使って相手を倒すところをCNNクルーを従えて世界中に宣伝する。一方、中国は自らの軍事費を一応公開しているが、一般的に知られているNATO基準とあわせようとせず実態はよく分からない。

とはいえ、いくらでも軍事力を強くすればいいものでもない。通常お財布を始め、国力と相談しながら軍備する。どんな国でも、自国経済や技術力を無視して軍事力を無制限に拡大するわけにはいかないから(太平洋戦争末期の日本でGDPの約4割超、軍事国家・北朝鮮で約3割といわれる)。

そういう財政的制約を考慮すれば、いまどきどの国も自国を自らの力だけで守るというのは無理である。伝統的な国家同士の総力戦以外にテロ、サイバー攻撃、近隣諸国の混乱、SARS、鳥インフルエンザなど伝染病、地震や津波といった自然災害などの形で様々なリスクが考えられる。

伝統的な国家同士の総力戦だけに限っても、日本以外はすべて敵、と思って世界(近隣諸国でもいいが)を見渡し、すべてに勝算を持てるだけの軍事力を持つとすれば、これまた非現実的だ。

日本の太平洋側の隣国はアメリカであり、アメリカ以外の軍事費トップ100カ国分の軍事費を足しても、アメリカの軍事費はおつりがくる。

一つ考えてほしい。なぜ日本は襲われないのだろう?世界で三番目にお金持ちの国だし、日本人は勤勉だし、従順である。日本と戦争してわが領土とし、日本の富を我がものとし、日本人を奴隷にして自国民はみんな左うちわで暮らしていこう。という発想が世界のどこかでおきても、本来全然おかしくない。世界史は裕福な国ほど狙われることを教えている。

だが実際には第二次世界大戦後日本本土が侵略されるということは起きていない。なぜ?

世界中の人々が日本ファンで、日本にはいつまでも平和で美しい国であってもらいたいという、世界の愛に包まれているからではない。あけすけに言ってしまえば、日本を襲っても勝てる見込みが、まずないから。世界最大の軍事大国アメリカがその同盟国に控え、自衛隊+在日米軍が日本に物理的にいるので、真っ向からの戦いを挑んでくる国はいない(これを専門用語で抑止力という)。

では、自衛隊+在日米軍の組合せでなぜ抑止力が働くか?といえば、米軍が世界最強の軍隊であり、常に新兵器を開発し、重要かつ新兵器を買えるお財布を持っている国(日本とヨーロッパ)に売るので、日本には核兵器がなくても最新兵器が大体そろっている(最近でいえばミサイル防衛はいい例だ)。また米軍は頻繁に戦争をしているので、戦略・戦術も非常に洗練されている。

そして時折合同演習を行っては、周辺諸国に「どうだ、すごいだろう。まかり間違っても襲おうと思うなよ」というメッセージを発している。いわば筋骨たくましい大男が指の関節を鳴らして、周囲を怖がらせているようなものだが、その筋骨がたくましくみえるほど通常周りの戦意は喪失する。

そのため、強いものはいかに強いかを見せびらかし、弱いものは自らの弱さを隠そうとする。

例えば、アメリカは高らかに自らの軍事費を公開するし、戦争中なら最新兵器を実際に使って相手を倒すところをCNNクルーを従えて世界中に宣伝する。一方、中国は自らの軍事費を一応公開しているが、一般的に知られているNATO基準とあわせようとせず実態はよく分からない。

とはいえ、いくらでも軍事力を強くすればいいものでもない。通常お財布を始め、国力と相談しながら軍備する。どんな国でも、自国経済や技術力を無視して軍事力を無制限に拡大するわけにはいかないから(太平洋戦争末期の日本でGDPの約4割超、軍事国家・北朝鮮で約3割といわれる)。

そういう財政的制約を考慮すれば、いまどきどの国も自国を自らの力だけで守るというのは無理である。伝統的な国家同士の総力戦以外にテロ、サイバー攻撃、近隣諸国の混乱、SARS、鳥インフルエンザなど伝染病、地震や津波といった自然災害などの形で様々なリスクが考えられる。

伝統的な国家同士の総力戦だけに限っても、日本以外はすべて敵、と思って世界(近隣諸国でもいいが)を見渡し、すべてに勝算を持てるだけの軍事力を持つとすれば、これまた非現実的だ。

日本の太平洋側の隣国はアメリカであり、アメリカ以外の軍事費トップ100カ国分の軍事費を足しても、アメリカの軍事費はおつりがくる。

そんな国を相手に想定したら、いくら軍事費があっても足りない。ましてやアメリカを同盟国としてはずすにしても、世界第二の核保有国ロシア、旧日本軍が苦戦した中国が控えている。日本単独で両国に勝てるだけの軍事力を持つというのも、また非現実的である。

ここで「戦争論」の著者、クラウセヴィッツの格言「外交の延長に軍事がある」が生きてくる。

即ち、外交の分野でどの国と同盟関係や友好関係を結ぶか、どの国を仮想敵国と定義し、必要な政策を実行しつつ、軍事の分野で仮想敵国に対抗するだけの軍事力をいかにして持つかを具体的に計画し、装備し、日ごろ訓練していく。こうすれば全てを仮想敵国扱いして、膨大な軍事費をかけなくて済む。そして、仮想敵国と対立し外交的に解決できなければ、軍事的手段に訴える。

冷戦当時、永井はこう書いた。「日本の安全保障と防衛の基本問題を要約すると、「意図」の点は別として、その潜在的な脅威と「能力」という点からみれば、明らかに、第一に米国、第二にソ連、第三に中国が、日本にとって「脅威」である。

したがって、論理的には、その優先順位にしたがって、外交による友好関係を持続し、なんらかの相互の安全保障体制の確立によって、相手方を無害化する外交路線が、国防費を削減し、日本に、行動選択の大きな幅をゆるす道なのである。」(下線は著者加筆)

その通りに、日本の場合第一の潜在的脅威、アメリカとの関係を最優先した。占領・冷戦という状況下、日米安全保障条約を結ぶことでアメリカに日本の防衛義務(日本が外国から攻撃を受けた場合、自衛隊は外国からの攻撃を日本本土で専守防衛する一方、アメリカがその攻撃国に出動して反撃するという約束)を負わせた。

その代わり当時第二の脅威ソ連を敵視していたので、日本は冷戦体制下では仮想敵国ソ連に最も近い北海道に自衛隊を多く割いた(別に雪まつりのためにいたわけではない)。

また、アメリカは当時正統な中国政府と台湾の国民党政権とみなしていたので、日本は中国大陸との貿易に色気を持ちながら、ニクソンに触発された田中首相訪中まで、台湾を正統な中国政府とみなし国交を築いていた。現在、ロシアの脅威は大分後退し、中国の潜在的脅威が拡大しているが基本的ロジック(下線部分)は同じ。

このように、アメリカとの関係を最優先したことで、冷戦時代ソ連や中国(冷戦前半だけだが)との関係を犠牲にしたわけだが、何事もプラスもあればマイナスもあるということである。

各国は、一つ一つ他国との関係の上で、プラス・マイナスを考え、どちらがより大きいか、より安全かを考えて行動する。国益に沿わない義理人情は基本的に通用しない。「国家間の関係が、けっきょく、冷たい利害のうえに成立している、ギブ・アンド・テイクの関係である」という現実を忘れてはならない。

日米同盟のプラスとマイナスはこればかりではない。この点については次回触れていきたい.

吉川 由紀枝(よしかわ ゆきえ)

慶応義塾大学商学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月よりライシャワーセンター アジャンクトフェローとなる。

Author: asiapeace