アジア平和文化フェスタinマニラ

アジア平和文化フェスタinマニラ

すっかり秋めいてまいりました。

皆様、お元気でお過ごしでしょうか? 

様々な課題を含みながらも、フィリピンへの旅『平和文化フェスタinマニラ』を成功裏に終えることができました。

ご賛同・ご協力してくださった皆様に、心からのお礼を申し上げます。

今回の企画は、初めての試みであり、内容的にも欲張ったところがあり、皆様にご苦労、ご心配をおかけいたしました。

お礼の次に、お詫びを申し上げます。今回の企画の最大の目的は、アジアの民衆の連帯を生み出すための歩みを始めることでした。

国家や政府を拠り所にした「国際」連帯ではなく、民衆を基盤にした「民際」連帯の第一歩です。

その具体的で最も有効な方法が、「文化交流」でした。

互いの文化を理解し合うことによって、互恵互譲の絆で結ばれ、平和の礎を築くことができると考えました。

韓国からは、伝統的な民族舞踊団と民謡歌手が10名参加してくださいました。

スリランカからは、民族舞踊団キャンディー・ダンスのメンバーが十数人、フィリピンからは、舞踏家集団「テアトロン・バヤン」(民衆劇場)の若者数十人が参加してくれました。

そして日本からは、菱川玲子さんをはじめとする民族舞踊研究「かすりの会」のメンバー5人と、シャンソン歌手堀田さちこさん、ギターリストの山岡弘和さんが参加してくださいました。アジアの人々と心を通わす上で最も大切なことは、歴史認識です。

日本は加害者であり、アジアの国々や人々は被害者であるということです。戦争責任・戦後処理の問題です。

そこで、太平洋戦争最大の激戦地であるコレヒドール島を訪れるオプションを設定しました。

フィリピンで日本の軍人軍属は、51万8000人亡くなっています。今回の参加者の中にも、お父様を亡くされた方がおられました。

これは、中国戦線での戦没者・戦病死者を上回っています。一方、フィリピンの民衆(レジスタンス・ゲリラを含む)を、約100万人殺しています。

何故、「東亜の解放」を掲げた日本が侵略者となり、植民地支配を行っていたアメリカが「解放者」として受け入れられたのか、考えてみる必要があります。

今回参加した韓国をはじめ、アジアの人々は、日本の植民地支配と侵略を許していません。

日本政府の真摯な謝罪がないからです。

私たち、一人ひとりの日本国民はどうでしょうか? 

最近報道されたフィリピンにおける遺骨採集の問題でも、ひとり厚生省の問題ではなく、日本国民の侵略戦争への反省のなさが露呈したものだと思えるのですが。

戦場で散った(大多数は餓死)父祖の骨を日本に持ち帰って葬りたいという気持ちは理解できますが、虐殺した現地の人々に対して、如何ほどの心配りがなされたのでしょうか?

さらに、ロラ・センターを訪れ、日本軍「慰安婦」とされたロラ(おばあさんの意・韓国のハルモニに同じ)のお話を身近に聞く機会を設定しました。

今回の企画で、「文化交流」と並ぶ、2本の重要な柱でした。

日本の平和運動は、「核兵器反対」と「空襲被害」を軸に推進されてきました。共に被害者側に立った運動です。

加害者の意識を持った運動は、非常に希薄でした。日本の平和運動の大きな弱点です。

漸く近年、日本軍「慰安婦」・在外被爆者・勤労挺身隊などの運動が注目されるようになったのは、遅きに失したとはいえよいことです。

同行していただいた吉川春子さんや水野磯子さんは、その中で大きな力を発揮しておられます。

30年ほど前のことです。

被爆者の方を伴ってシンガポールに行ったとき、「被爆国だとか被爆者だとか、加害者のくせに被害者の仮面をかぶるな!」といわれたことがあります。

そのような批判のあ ることは知っていましたが、被爆者の面前での言葉には打ちのめされました。「私たちシンガポールの人間は、毎日日本軍によって虐殺されていたのだ。原爆投下で日本が敗れることを、諸手をあげて喜んだ。これで、虐殺から免れることができる。」とも言われました。

勿論、反論する言葉はありました。

「私たち日本人は、日本の侵略にも真摯な反省をし、謝罪の気持ちを持っています。」「被害者として核兵器廃絶を唱えているのではありません。

核兵器の危険性を最も知っている者の責任として、核兵器と人類は共存できないということを、世界に訴えているのです。」とか。

しかし、彼らを納得させる力はありませんでした。彼らはさらに言いました。「核兵器反対なら、アメリカに言いなさい。

アメリカの核の傘に入っている、日本政府に訴えなさい。」とも。

その後私は、十数カ国で被爆者の証言と原爆写真展を開催しましたが、未だにシンガポールでは開催できていません。

シンガポールと同じように反日感情の強い韓国では、昨年やっと開催することができました。それも、韓国被爆者の会と共催で、「ナヌムの家」などで行いました。

韓国での本格的な被爆写真展は、初めてのことです。この時も、日韓の文化交流が大きな力となりました。

被爆写真展では、松井孝さんが毎回先頭で指揮をしてくださっています。

今回集まった250余筆の署名は、10月の国連総会にむけての行動に参加する学生に、ニューヨークへもって行ってもらいました。

最終日に、旧米軍基地のクラーク・スービックを訪れ、現地の方と交流しました。

今、私たちの前に立ちはだかっている沖縄の問題・米軍再編強化の問題を考えるための行動でした。

米軍基地の問題は、まさにアジアの民衆の連帯なくしては解決できません。私たちが帰国した9月25日、韓国の済州島に建設されている海軍基地(米軍も使用)に反対する運動に対して、フィリピンの平和運動組織が連帯の行動に立ち上がったことが報道されていました。

11月に「アジア平和文化交流の会(韓国)」の設立1周年の記念行事がソウルで開かれます。

事務局長は、韓国舞踊団・民謡歌手を伴って参加してくださった金善龍さんです。

心からの連帯の挨拶を送りたいと思います。

私たちも、今回のフェスタを踏まえて、来年沖縄で「平和と文化の交流会」を開催したいと考えていますが、皆様のご意見をお聞かせください。

今年の12月14日は、韓国「ナヌムの家」が毎週行なっている日本大使館への抗議運動「水曜行動」の1,000回目の記念の日です。

この行動にも熱い連帯の気持ちを伝えたいと思います。また前日の12月13日は、74年前に日本軍が南京での虐殺を始めた忌まわしい日です。

日中不戦・世界平和の決意を、南京の人々に伝えたいと考えています。

今年の12月8日は、70周年を迎えた太平洋戦争の開戦の日です。不戦の決意・平和への思いを新たにし、アジアの人々との連帯を行動にうつして行く所存です。

ご賛同・ご協力して下さった皆様、参加してくださった皆様に、心からの御礼を重ねて申しあげます。

また、古い友人であるスリランカ大使館のベナット・クレー大使(スリランカ9条の会代表)、現地でのアレンジを一手に引き受けてくださった平和の同志コラソン・ファブロスさん(弁護士・ストップ戦争フィリピン連合)と彼女に協力してくださったフィリピンの皆様、心からも感謝を申し上げます。

近い将来、皆様とご一緒できることを期待しています。皆様のご健勝とご活躍をお祈りしています。

                                                                アジア平和と文化交流

                                                                フェスタinマニラ実行委員会   西 本 伸

                                                              (株)富士ツーリスト  西 山 譲

                                                              (株)アリラン航空   金 善 龍

 

                                                                                                                                                                                                                2011年 09月 22日

                                                            

                                                                          フィリピンのマニラ

Author: asiapeace